イノセンス

押井守イノセンス

僕は普段アニメーションをほとんど見ないが、この映画は余りにも評判が良いので、先週観にいった。

人造人間の持つ感情や人間関係といった主題は、20年以上前の"Blade Runner"(Ridley Scott監督)を思わせる。Blade Runnerは最初観たとき(学生時代)は感銘を受けたが、その後社会人になってから何回か観直すうちに、感銘が薄れていった。感銘が薄れた最大の理由は、人造人間に対してリアリティを感じなくなったことにある。例えば「マルコビッチの穴」(スパイク ジョーンズ監督)のように全く非現実的な話を、荒唐無稽なギャグとして楽しむことはある。しかし、シリアスなSFは、近未来に起こりうる状況について観客に深く考えさせるものであって欲しい。Blade Runnerに描かれた、生身の人間と人造人間の恋愛は、僕にとってはリアリティのないものであった。

イノセンスでは、主人公の刑事は脳は人間で身体は人造であり、その恋愛の対象は生身の人間である。従ってBlade Runnerとは状況が異なる。だが、やはり僕には、「人々が電脳化され、声を出さずとも、コンピューター端末を打たなくとも、ネットワークを通じたデジタルコミュニケーションが可能になる一方、肉体の機械化も進み、人とサイボーグ(機械化人間)、ロボット(人形)が共存する、2032年の日本」(作品の公式ホーム ページより)はリアリティが感じられない。

評判の映像は、背景や風景や部屋などは高度なCGを駆使しており、確かに高い質感を持っている。しかし、人物やサイボーグは、普通のアニメーションどおりの平板な質感であり、その両者のギャップが違和感を覚えさせる。まるで実写の背景に平板なアニメーションの人物を配置したかのようだ。

未来都市の描き方も、黄色がかった暗い空にアジアの雑踏を思わせる光景で、これもBlade Runner的な常套句だ。数年前に訪れた上海では、都市の再開発が物凄い勢いで進んでいた。東京でも近年大規模な再開発プロジェクトが数多く進んでいる。テクノロジーの背景にアジア的雑踏を置くという表現の「ひねり」は、Blade Runnerを初めて観たときは新鮮に感じたが、現在ではむしろ古臭く感じる。
★★★・・