二十四の瞳

木下惠介二十四の瞳(1954年、2007年デジタル リマスター)

昭和初期の小豆島。大石先生(高峰秀子)が新任の小学校教師として村の分校に赴任する。村で洋服を着ているのは大石先生のみだ。村の大人達は大石先生を「モダンガール」と揶揄し、胸襟を開こうとしないが、子供達は直ぐに大石先生に懐いていった。(ところで、前半は洋服を着ていた大石先生が、後半は和服になるのは何故なのだろう? 村に同化しようとしたのか、それとも歳を取って好みが変わったのだろうか?)

大石先生は泣いてばかりいる。怪我をした自分を生徒達が見舞いに来ては泣き、女の子が家計の事情で学校を中退しては泣き、その女の子に修学旅行先で偶然再会しては泣く。こんなに感傷的な作品なのに、白々しい感じがせず、素直に感動できるのは、大石先生が心の底から生徒達を愛おしく思っているからだ。大石先生の人物造形は、高峰秀子の傑出した演技に多くを負っているだろう。

軍国主義が強まる時勢、男子生徒の多くは将来軍人になりたいと希望する。子供が死んで欲しくないという思いから、大石先生は男子生徒達に「軍人よりお米屋さんの方がいいわ」と語る。そのことを知った校長から、大石先生は「アカ」(共産主義者)呼ばわりされてしまう。言論の自由が全くない時代の空気には、慄然とする。

戦火は拡大し、大石先生の夫も、かつての生徒も何人か戦死してしまう。戦争が終わった時、大石先生や村人達は、安堵の気持ちに包まれた。

戦後開かれた同窓会。参加できたのは半分ほどだ。その内の一人、磯吉は、戦争で失明したものの、かつての集合写真を「見ながら」一人ひとりの位置を指で指し示す。この場面を見ながら、胸が一杯になった。

僕は自衛隊を肯定するし、自衛のためなら戦争も止むを得ないと思う(もちろん、そういう事態が起きて欲しくないが)。しかし、国を挙げて戦争にのめり込んでいったこの時代の空気は、再現させてはならない。

(Apple TVでレンタル)

★★★★★