ローランギャロス決勝 - 1984年

ロラン ギャロス(全仏オープン)1984年男子決勝(イヴァン レンドル対ジョン マッケンロー)を30年振りに再見した。当時僕はマッケンローのファンで、彼が負けたことにたいそう落胆したものだ。

この年のマッケンローは、年初からRG準決勝まで無敗で、最終的に13大会で優勝する(敗退は3回のみ)という驚異的な活躍を見せた。これは2006年のロジャー フェデラーの12回をも上回る。

RG決勝でも、マッケンローは最初の2セットを完璧なテニスで手中にする。遅いクレイ コートにも関わらず、マッケンローはサーヴ&ヴォレーで華麗に得点していく。マッケンローの俊敏さとヴォレーの巧さに改めて感嘆してしまう。

しかし第3セットから状況は変化する。マッケンローのファースト サーヴの確率は、第2セットまでは60%程度だったが、第3セット以降は40%未満に低下してしまう。ファースト サーヴが入らなければ、サーブ&ヴォレーで点を取るのは難しい。なぜ第2セットまでと同じようなサーヴが出来ないのかと、見ていて歯痒くなってしまうが、サーヴが入らなくなってしまうのは、しばしば有ることだ。逆にレンドルは、リターンもパスも徐々に冴えてき、マッケンローはサーヴィス キープに苦労を強いられる。

苦戦が続く中で精神的、肉体的に消耗したのか、第5セットのマッケンローは精彩を欠いてしまった。サーヴが引き続き入らないだけでなく、ヴォレーもストロークも精度が落ちてくる。マッケンローの最後のサーヴをレンドルがブレイクし、フル セットの死闘に幕が下ろされる...

これはマッケンローにとっては(そしてマッケンロー ファンの僕にとっても)手痛い敗戦だった。サーヴ&ヴォレーを武器としたマッケンローは、遅いクレイが苦手だったが、この大会はRG優勝の唯一の機会だった。しかも、第2セットまでは自分が優位だったのに関わらず、逆転負けを喫してしまった。マッケンローは、準優勝のプレイトを受け取ったものの、スピーチを拒んで会場を後にし、観客のブーイングを浴びる。

一方でこの試合は、レンドルにとってはブレイク スルーの機会となった。これまでレンドルはグランド スラムの決勝で4回敗退し、精神力に問題があると言われていた。このRGの優勝で自信を得たレンドルは、グランド スラム8回優勝の偉大な選手となる...